毎週末によく利用するパン屋が一軒在る。以前はもう二軒ほど近所に在ったのだけれど、そのどちらも建て替えの為なのか、それとも単に店を閉じただけなのか判らないが、三年ほど前に無くなってしまった。なので近所にはもうここしかないのである。一応イトーヨーカドーにパン屋は入っているが、どうもなあ、独立した店舗でないと「パン屋に行く」という行為に伴うウキウキした感じが出ない。だから行かない。
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そのパン屋に特別なところはない。個人経営の小さなガラス張りの店舗で、レジの横から工房の中が覗ける。何か特化した種類のパンに拘っている訳でもなく、まんべんなく揃っている。半年に一度くらいのペースで新作のパンが売りに出されるような、絵に描いたようなパン屋である。
しかし、目に見えないところで少々変わったところがある。昔、僕が通い始めた頃は、店内には有線放送で適当な、ほぼアメリカの歌謡曲と化したR&Bが流れていたように思うが、数年前のある日、その有線放送が撤廃され、代わりに古いラジカセが棚の上に鎮座していた。聞こえてくるのは Michael Jackson 。懐かしい音質でマイケルが Billie Jean を歌っていた。
それから数ヶ月間、僕がそのパン屋を訪れる度にマイケルが歌っていたのだけれど、そのうちに今度は Stevie Wonder が歌い始めた。僕の店での滞在時間はものの数分であるので、どのアルバムであるかまでは判らなかったけど、Ribbon in the sky が流れていたのを覚えている。
そして、それから更に数ヶ月経ってラジカセが姿を消した。代わりに無印良品で売ってそうな、インテリア化した白いCDプレイヤーが置いてあった。流れているのは相変わらずマイケルとスティービーだったので、CDで買い直したのだろう。しかしこれは一体誰の趣味なんだろうな。フツーに考えてオーナーの趣味なんだろうけど、工房やレジに居る人のうち、誰がこの店のオーナーなのか見当が付かない。
そんな事を思いながら、引き続き毎週末に通っていると、数ヶ月にに一度くらいのペースでレパートリーが増えて行った。The Isley Brothers 、The Supremes 、Marvin Gaye 、The Temptations 。この辺りまできて僕はようやく思い付いた。これって・・・全部、デトロイト発祥のモータウン・レコードの連中じゃないの? すると、ここのオーナーはモータウン・サウンドのファンなんだな! 面白れえ!じゃあ!なんなら店の名前も「モータウン・ベーカリー」とかにすれば良いんじゃない? そうしようそうしよう!
とか言って一人で盛り上がっていたのだけれど、それから暫くしてその妄想が崩れた。ある日店に入ると、Ray Charles が歌っていた。何となく違和感を覚えて部屋に戻ってから調べると、アトランティック・レコードだった。よくよく考えれば Billie Jean はモータウンから出してないし。ううむ、でも、まあ一つのレコード会社に拘る理由もパン屋にはないし、古いR&Bが好きって括りで良いんじゃないかな。などと余計なお世話過ぎる妥協点を見いだした僕は、安心してパン屋に通い続けた。
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で、そして今日、その括りさえも崩れた。
自動扉が開いて僕の耳に聞こえてきたのは Big Punisher の Still not a player 。まさかのヒップ・ホップ・チューンである。どうした? 何があったんだオーナー? これからこの店は一体どうなってしまうんだ!
僕は心配である。その内にこの店は看板を艶めかしく光るネオンに取り替え、入口横にはビッグバードの等身大フィギアが立って客を出迎え、店員は全員日サロで身体を焼いて、ブカブカのヒップホップ・スタイルか、身体に張り付く感じの花柄の開襟シャツやストライプのパンタロインパンツを穿いてアフロな感じで、陽気に接客してくれたら楽しいな。などと今では妄想している。